我が娘の食物アレルギー
今から13年前の10月30日、
管理栄養士である、私のところに、
重度の食物アレルギーを持つ娘が誕生しました。
難産で生まれた娘は、
最近に感染され、保育器の中での入院していましたが、生後10日には無事退院することができました。
その後、
何か彼女の状態が他の子と違うなあ
と度々思うことがありました。
すると、
生後16日目には、顔の湿疹が目立つようになり、
一時はおさまったこともありましたが、
赤いポツポツは消えず、
目の周りは、相変わらず赤い状態。
また、
粉ミルクを飲むと、
吐いたり、
泣いたりと
なかなか飲むことが出来ませんでした。
そして、私は、
生後2ヶ月と2週間目、
この様子に納得できず、
入院の時の主治医に電話で相談してみました。
「まあ、その程度なら、様子を見ましょう」とのこと。
それから、事件が起きたのは、
その電話の3日後です。
粉ミルクを飲ませていると、
顔のただれた皮膚から、
溢れんばかりの滲出液が流れ出てきました。
生後2ヶ月と23日目の1月22日火曜日、
今でも、この日のことは忘れません。
私と娘との壮絶な日々が始まったのは、
この日からです。
まずは、
その原因を探すため、
病院を転々とし(この頃、まだ食物アレルギーはまだ未知の世界)、
納得のいく先生に出会うために、
いい治療がうけれらるために、
親子共々さまよい続けていました。
そんな時、
友人からある病院を紹介して頂きました。
すると、
その原因の1つが、
「食物」であることが判明しました。
私は、主治医からの説明に納得でき、治療を開始することにしました。
そして、私と娘との除去食の生活の始まりました。
とにかく、
始めは、アレルギーとなる「食物」は全て除去し(米、大豆、小麦、乳、卵、鶏肉、牛肉、一部の魚等)し、
断乳までは、娘は母乳を飲むとアレルギー反応を起すため、私も同じ食物を除去していました。
それでも、毎晩かゆみのために、
娘は眠れず泣き掻いていました。
私まで涙が止まりませんでした。
そのご、3歳頃になると、大豆、小麦もたべれるようになってきて、少しずつ解除する食物が増えてきました。
現在は(2009年)中一の娘は、卵(卵白)、乳、イカ等のアレルギーがあります。
完全に解除はしていませんが、少しずつ食べれるようになり喜んでいます。
それから、
幼稚園、小学生と彼女の環境は変わる度に
様々の問題が起き、
葛藤の繰り返しでした。
現在、
小学6年生の娘は
牛乳・乳製品・卵・イカ・バナナ等に反応が見られ、
当然除去食をしていますが、
今では、
親子共々、
除去をしながらも、
楽しい日々を暮らしています。
しかし、
コレまでになるには、
先ほどからお話ししましたように、
心の葛藤はありました。
私のカルテには、
「育児ノイローゼ」
とまで書かれていましたから。。。
そんな時、
私自身助けられたのが、
同じ悩みもを持つ、お母様との交流。
ですから、
このブログサイトでは、
同じ悩みをもったお母様との交流をイメージして、
少しでもあなたが「笑顔」でいられるように
そんなサイトにしたいと立ち上げました。
あなたの笑顔を
子どもの笑顔を
家族の笑顔を
もっと、
もっと、
見ることがことが出来るなら・・・
一緒に歩んでいきませんか。。。